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インド式数学と言うものが流行のようです。

・できるだけ楽に
・間違えにくい方法を使って

計算をすることが極意なのだとか。


確かにインドと言えば、0が初めて発見された地ということで
いろいろと期待する面もあります。

掛け算の九九は20×20まで覚えるそうですしね(^^;)

インド式数学を学ぶことによって、日本の数学力低下も回復すればいいのですが・・・。


参考ページ
インド式数学で計算しよう
インド式数学 公式一覧
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京都大学の名物?折田先生像

京都大学の前身の一つである第三高等学校の初代校長を務めた折田彦市(おりた ひこいち)さんの銅像なのですが、

いろいろと落書きをされまくった挙句、

ついには大学側により撤去。その後、しばらく折田先生像は記憶のかなたに忘れられていた・・・

しかし、その後、ハリボテ像として復活。

毎年の京都大学の風物詩となっているそうです。


折田先生像2008
平成20年版

折田先生像2007
平成19年版


著作権云々の問題はあるようですが、企業側としても
「キャラクターのイメージを悪化させなければ問題ない」というスタンスの模様。
いやー、平和ですね。


度が入っていないめがねのことを伊達眼鏡(だてめがね)と言うが『伊達(だて)』とはどういう意味だろう?

調べてみると、
伊達とは、人目にふれるような派手な行動をすることや、派手なふるまいなどで外見を飾ることをいうらしい。

なるほど確かに伊達眼鏡というのは外見を飾るためのものだ。
派手かどうかは微妙だけれども、めがねが珍しかった時代には確かに相当なハデさだっただろう。

語源としては、「義理立て」とか「忠義立て」とかの「だて」が語源らしい。
「ことさらに、あるいは特にそうする意」をあらわす語幹だとか。

ちなみに「伊達」という感じをあてるようになったのは
伊達政宗の家臣が華美な服装で人目をひいたことからという説が有名なのだそうだ。

お彼岸の時期が終わった。

そもそも彼岸とは、浄土仏教における阿弥陀仏の極楽浄土のことをあらわす言葉だそうです。
それに対して、この娑婆世界(しゃばせかい)のことを此岸(しがん)とも言うそうな。

彼岸のことを西岸ともいわれるように、極楽は西の方にあると経典には説かれている。
夏至と冬至のときには昼と夜の時間が等しくなる。
すなわち太陽が真東から昇って真西に沈むのだ。
だから、この日にあわせて西方浄土を念じるのがお彼岸なのだろう。

ちなみになぜ西かというと、西は太陽が沈むところだから。
すなわち西というのは終帰をあらわすのだと考えられている。
終帰というのは、すべての生き物は最後、阿弥陀仏の本願によらなければ救われないということなのだそうだ。

聖徳太子は仏教のことを「四生の終帰、万国の極宗なり」と十七条憲法に記しているが、それも同じ意味なのだろうと納得した。

仏教の教えが日本語のいろいろなところに現れているのだなあ。
厚生労働省から、鳥インフルエンザが突然変異して、人から人へと感染するようなウィルスが生まれたときのガイドライン案が発表された。

個人的に気になったのは、
「感染者を隔離したうえ、その地域の住民の行動を制限して感染の拡大を抑えること」
が盛り込まれていること。

確かに、拡大を防ぐには必要なことなのだろうが、
もしかすると映画『バイオハザード』のように、"正常"な人たちも、感染した村から出ることができず、結局いずれインフルエンザにかかって、どうすることもできずに死んでいかねばならない、
というような状況になることを想像してしまう。


 患者の発生地域で住民の移動を制限するのは、ウイルスの他地域への拡散を防ぐためで、多くの人命を奪い社会的パニックをもたらすとされる新型インフルエンザ対策としては当然の措置だ。しかし、個人の行動を大幅に規制するにもかかわらず、ガイドライン案は法的根拠を示せなかった。


livedoor ニュース - [新型インフルエンザ]対応まとめたガイドライン案 厚労省

とあるが、隔離される側としては「当然の措置」でもなんでもない。
どんな法的根拠があろうと、感染した村から出ることができない、なんて真っ平ごめんだろう。


ここに法律の限界がある。同時に、人間存在というものの愚かさも感じる。


使えなくなった部品は、廃棄しなければならない。
だが、捨てられる側としても、ただ捨てられるのでは納得がいかないから、合理的な理由をつける、ということだろうか。

まったく、愚かといえば愚かなものだ。
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